お気に召すまま
さて、どうしたものか。
セイロンは、鍋の中身を見てつぶやいた。
セイロンにとって、このフェアという人物は特別な存在だ。
これまでも、そしてこの先も、これほどに心の多くを占める者はいないだろう。
他の誰へ対するよりも、深く強い感情を抱いているのは確かだ。
だが、それが一体どういった類なのかと問われれば、確かな答えは出せそうにない。
時によって異なるのだとしか、言い様がないからだ。
それは変化ということではなく、拮抗した二種の感情が常にあるということだ。
どちらかが多くなるわけでも、少なくなるわけでもない。
例えるなら札の表と裏、どちらの面が上を向くかといった具合だ。
「わたしが男ならよかった?」
フェアは背を向けたまま言う。
「……は?」
セイロンは、思わず野菜の皮を剥く手を止めた。
我ながら間抜けな声音だと思ったが、彼女は鍋の面倒を見るのに夢中で気付かなかったようだ。
「だから、セイロンにとって、わたしって男友達みたいなもんでしょ?」
何とも、答えようがない。
沈黙を疑問と解釈したのか、彼女は説明を付け足した。
「ほんとに男だったら、もっといろいろ話せることもあったんじゃないかなぁって。ほら、稽古なんかも手加減が必要ないしさ」
言いながら、杓子を持つ手は休めずに円を描いている。
さて、どのような思惑での問いなのだろう。
「店主殿を相手に、手加減などはしておらぬぞ」
もっとも骨を砕くほどの猛稽古ならまた話は別だが、と、心の内で続けた言葉を声に出したものかどうか。
一瞬迷っている間に、
「そっか」
彼女は勝手に納得してしまう。
「まあ、わたしだしね。そうだよね」
その声音にある考えが閃いて、セイロンの手がまた止まる。
包丁を置いて向き直ったのと、彼女が火を止めたのとはほとんど同時で、
「野菜足りないから、ミントお姉ちゃんのとこ行って来るね」
呼び止める隙を与えずに足早で部屋を出てしまう。
残されたセイロンは、まだ手を付けていない野菜の山と、皮を剥かれたきり積み上げられている山とを、交互に見遣る。
それから先ほどの考えの是非を確かめるため、鍋の蓋を持ち上げた。
「……さて、どうしたものか」
拮抗していた感情が、今ははっきりと偏ってしまったのが判る。
このまま進めば、どれほどに脹れ上がるのか自身のことながら空恐ろしいほどだ。
それでも、笑みが浮かんでくるのを止められない。
こうなることを、どこかで望んでいたのだろう。
むしろそれが望みでないならば、一対となり得る男女が二人きりどうして一処で暮らせよう。
花は散るからと厭うなら、種など蒔かなければ良いではないか。
春を待つ蕾を見付けたのなら、冬の内に旅立って誰になりと譲ってしまえばいい。
自らの意思で留まったのだ。
今日花が開いたからと、何を今さら戸惑うことなどあるものか。
後はただ、咲き誇る流れに身を委ねるだけだ。
何より、彼女がそう望むのならば。
この地より攫って行くことも、この身の全てを捨て去ることも、遠く隔たる別れさえ、結局は彼女の思いのままになるだろう。
それが、祝福を受けた彼女の強運なのだから。
「さて、どうしたものか」
もう一度同じ言葉を、今度は違った意味でつぶやいた。
とうに陽の落ちたこんな時刻だ、その必要もない材料を本気で求めに行ったわけではないだろう。
多分空手で帰って来る彼女へ、何からどう答えてやるか。
いっそいつまでも帰る様子がないならば、自分から迎えに出向いて告げてしまおうか。
セイロンは考え込みながら、彼女がそうしていたように、鍋を満たしているただの湯をかき混ぜた。
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