御伽話の住人


 門前の広場は、意外なほど活気に満ちていた。
「ずいぶん賑やかじゃない。すごい田舎街みたいに言うから」
 想像と全然違う、と友人が笑う。
「あたしが住んでたころはそうだったのよ」
 リシェルは自分の方が初めて来たように、落ち着かない気分で辺りを見回した。
「ずいぶん変わったの?」
「うん……まあ、ね」
 彼女とは派閥の集まりで知り合い、年頃も境遇も似ていたからすぐに親しくなった。
 もう五年になる。
 他にも親しい友人はいるが、彼女と過ごすのは一番居心地がいい。
 どことなくポムニットに似た雰囲気を持っているからかもしれない。
 よく一緒に旅行をする。
 今もその途中で、せっかくだから故郷を見ていってよと、少し寄り道をしたところだ。
 といっても、今のブロンクス邸には誰も住んでいない。
 父親は別の街へ拠点を移し、弟は軍学校の寮へ入っている。
 ポムニットはリシェルが家を出る時に暇を貰って、どこかへ行ってしまった。
 怒って泣いて頼んだのにいつもの困った顔で微笑んで、手紙を書きますからと言った。
 毎月長い手紙が届くが、居場所は書かれていない。
 リシェルも、服やお菓子や気になる人の話まで書いた長い返事を送る。
 それはシルターン自治区のある店宛てで、ポムニットはそこへ手紙を受け取りに行くのだろう。
 初めは寂しくてたまらなかったが、結局新しい生活の鮮やかさに目を奪われ慌ただしい毎日を過ごす内、いつの間にか子供の我が儘だったと思うようになった。
 自分には自分の道があるし、彼女には彼女の道がある。
 傍にいなくても絆は消えない。
 母も友人も派閥の先輩達もいて、日々は賑やかだ。
 何も欠けたところはないと思う。
「知らない店がだいぶ建ってるし、街灯も増えてるし」
 少なくとも、ないと思っていた。
 今日までは。
「……でもなんか、足りないような気がするのよね」
「向こうに慣れちゃったからじゃない?」
「うーん、そういうのじゃなくって、何かこう、なくなったっていうか……」
「リシェルの覚えてるのと違うから寂しくなった?」
 そうなのかもしれない。
 ガラスのひび割れた街灯や、若い頃に流行った帽子をそのまま売っているような老婆の店や、ところどころ抜け落ちた石畳。
 私塾のあった方へ抜ける路はもっと狭くて曲がっていて、二人並んで歩くのがやっとだった。
 三人で帰る時はその子と自分が先を歩くから、つい話に夢中になって、まだ小さかったルシアンを迷子にさせたこともある。
 たくさんの思い出のある町並みはすっかり姿を変えてしまい、今はもう知らない場所のようだ。
 その子の名前も思い出せない。
 きっと、引っ越してしまったのだろう。
「おとぎ話の登場人物って、大人になると見えなくなるのよね」
 友人が少し怪訝そうに振り返る。
「おとぎ話って、シルターンの?」
「そ。むかしむかしお爺さんが、ってやつでしょ」
「私の家には鬼人がいたから、子供のころ聞かせてもらったけど。リシェルが知っていたなんて、ちょっと意外かも」
「聞いたことないわよ。この街にはシルターンの召喚獣はいなかったし、絵本を読んでくれたのはポムニットだし」
 その絵本は、母が送ってくれたものだったはずだ。
「誰かの請け売りよ。誰だったかな……」
 考え込む横で、友人はふと足を止める。
「ねえ、あのお店見てきてもいい?」
 彼女は古い書物が好きで、入ったらなかなか出て来ない。
 間口は狭いが奥行きのありそうな店だから、たっぷり一時間はかかるだろう。
「いいわよ。あたしもこのへん適当に見てるし。飽きたらこの先のため池で待ってるから」
「ありがとう。じゃ、後でね」
 彼女が店の中へ消えると、急に周囲のざわめきが耳へ響いてくる。
 旅人達の靴音、商人達の呼び声、荷を引く召喚獣のいななき。
 それに、知らない楽器が奏でる独特の旋律。
 初めて聴く曲なのに、まるで幼馴染みに出会ったように懐かしい。
 星見の丘で流れ星を探していた、子供のころの気持ちを思い出す。
 異界の曲なのに、どうして幼い頃の自分や、かつてのこの街が甦るのだろう。
 リシェルは、思いの外近くで弾いていたその吟遊詩人を振り返った。
 特徴のある服装から、シルターンの者だとわかる。
 ようやく気付いてくれたかとでもいうように、男は人懐こい笑みを浮かべた。
「それ、なんて曲?」
「あなたが先ほどおっしゃった、おとぎ話の曲でござんすよ」
 確かに綺麗な曲だ。
 男の演奏も巧いのだろう。
 だが他の界の文化にはあまり興味がないし、リシェルの好む音楽とは全く方向が違っている。
「もっと聴かせて」
 器へ金貨を投げ込んだのが、自分でも不思議だった。
「これは少々頂戴しすぎじゃありませんか?」
「いいから、その分しっかり気合い入れて弾いてよね」
 男の隣へ腰掛けながら、ふと付け加える。
「あ、歌はいらないわよ」
 男は、楽器を弾く手を止めてリシェルを見る。
 その妙な表情に気付いてようやく、自分がおかしなことを口にしたのだと覚った。
「あれ? あたしなんで?」
 眼鏡の奧の目が細くなって、男は何かを言いかける。
 それが言葉になる前に、リシェルはおかしくなって笑い出した。
「あんた、ほんとに音痴なの?」
「ははは……実はその通りでして」
「初対面のあたしに見抜かれるなんて、相当なもんね」
 これなら、ゆっくり見てきていいと言えばよかった。
 あの店からなら窓越しにこちらの様子もわかるだろうが、彼女はそんなことを思いもしないだろう。
 彼女が案外早く戻ってきてしまったら、この吟遊詩人に街を案内させるのもいいかもしれない。
 たぶん今の自分よりはこの街に詳しいはずだから。  
「ほら、弾いてよ」
 男は何か考えるように町並みへ視線を彷徨わせていたが、促されて姿勢を正した。
「それでは一曲……」
 低く呟き、目を閉じる。
 緩やかな調べが体を包むように大気へ満ちて、リシェルもゆっくりと、目を閉じる。
 自分の中に何かの欠けた跡があるのに、その喪失はどうしてか暖かい。
 抜け落ちたその場所から、不思議な優しさが溢れてくるようだ。
 何かを忘れてしまった。
 街は変わって、人も変わる。
 自分も変わっていく。
 御伽話の登場人物は、大人になれば見えなくなる。
 それでもきっと、彼等と自分はまだどこかで繋がっているのだろう。




2008.02.22 TALESCOPE